木々のさざめき

021.砂漠の中の一砂粒

 

「”特別”って何だと思う?」

隣にいる”誰か”が私に声をかける。

 

渋谷のスクランブル交差点の上空20mを飛んでいる私たち。

都会の湿った空気は私たちだけを避けて進んでゆく。

その”誰か”は続ける。

 

「見て、あのベビーカーを押しているスカートをはいた人。

旦那さんかな?

隣の人と仲良さそうだね。

目の前から人がいっぱいいて、歩けないね。大変そうだね。」

 

「”特別”の話はもう終わったの?」

 

私は話が簡単に変わることにイラっとしながら突っかかる。

彼はクスクスと下界を見下ろしながら笑っている。

私の反応がそんなにも面白いのか、はたまた人の流れが面白いのかはわからない。

 

「ああ、そうだった。特別の話だった。

ほら、そこかしこにがいっぱいあるね。」

 

私は何を言っているのかわからずに、腕を組み首をかしげる。

また何か面倒なことを言ってきそうな雰囲気が伝わってくる。

彼は通行人を指さしながら言う。

 

「見てよ、さっきのベビーカーの人と隣の男の人は”特別”でしょ?

ベビーカーに乗っている赤ちゃんもきっと”特別”だ。

……あっちをみて。

あの大きな広告のかっこいい芸能人をみてキャッキャ話している女子高生たち。

なんてかわいいんだろう!

あの偶像崇拝ですら、彼女たちにとっては”特別”だ。

最近では推し、っていうんだっけ?知ってるよ。

ほら、あの喧嘩している男たち。みてみて!警察もきてるよ!

あれも目の前で突如現れて、こぶしを交わさないといられないほどの”特別”だね。」

 

「何言ってるの?

”特別”ってそんな風に使う言葉じゃないでしょ。

屁理屈くさい。くだらない。」

 

私はその存在にそっぽを向きながら、それぞれの人生を謳歌している人々を眺める。

 

花束をもって意気揚々と歩いている人。

KAWAIIの最先端のようなドレスを着飾って、スマホカメラを掲げる人。

洋服の買い物袋をもって、足早に歩いていく人。

コーヒーショップで買った甘そうな飲みものを片手に、おしゃべりしながら歩く人。

スーツを着て電話をしながら眉間にしわを寄せて歩く人。

汚れた服を着て何日も洗っていなさそうな長いヒゲをこしらえて大量の空き缶をもって歩く人。

ポケットティッシュを配るために店舗から出てきた人。

人が自分の世界をもっていて、交わろうとしている美しさがある。

 

 

私がそれぞれの人の行動に思いをはせていると、

隣にいる”誰か”は乾いた笑いで私に話しかける。

 

「ははは!刈り取った花を丁寧に包んでる。

どこへ行くんだろうね!きっと”特別”のところだ!」

彼は目を潤ませて笑いながら愛しそうにその男性の行く末を見つめている。

 

私はそれぞれの人生がそれぞれ大切なものを背負っているのを知っている。

花束を持っている人は、大切な人に愛を伝えるためかもしれない。

大切な人が病気になってしまって、回復を願うためかもしれない。

そんな風に”刈り取った花”とか”丁寧に包んでいる”とか見下したような口調で言うなんて。

 

私は頭にきて彼に強い口調で言う。

「”特別”って。あなた、馬鹿にしたようになんなの?

特別は特別でしょ。自分が大切に思っているってことでしょ。」

 

彼は私にとつぜん振り返る。

先ほどまでスクランブル交差点に夢中になっていた目は私をはっきりと捕まえる。

ピリッとした緊張感が走る。

その顔が驚いたような目の丸さから、にんまりとだらしなく頬が緩む。

 

そして、彼は矢継ぎ早に、興奮気味に言う。

「そう!そうなんだよ!きみが”大切”って思ってしまうのも。

それは偶然。いや、必然!

その出会った中でなぜか知らないけれど愛着を持ってしまい、

その存在が自分の何かであると感じてしまうもの!

それが”大切”っていう言葉にすりかえることもできるね。

きみはなんて賢いんだ!」

 

嬉しそうに彼は私に顔を寄せてくる。

私は後ずさりをして、できるだけ圧力にも似たその目から逃げたかった。

 

”誰か”はまだ続ける。

 

「”何か”とはなにか。

それは、人間によって違う。

君にとって”特別”は”大切”なんだね。

 

でもね、

人間はときに己を完成させるパーツであったり、

己を映す鏡で在ったり、

己をいとおしむための素材だったり、

己の希望を託す未来であったり、

己の嫌な部分を潰すサンドバッグであったり、

己の慈しみを外に向けるための器だったり、

己の小さな存在に意味を持たせるものであったりする。

まあ、たくさんあるんだと思うけどね。」

 

「なにそれ。それなら、”特別”なんて大切でも何でもないじゃない。」

 

「そう!そう!!よくわかったね!!!」

 

彼は私をハグする。妙に無邪気だ。

私は馬鹿にされているような感覚になって彼を力いっぱい押し返す。

「よくわかったね」といわれながらも、空をつかむような話をされて怒りが渦巻いている。

 

彼は変わらず興奮した口調で手を目いっぱい鳥のように広げる。

空を切るその腕が私に当たりそうになるのも気にしない。

「なんなの?!」と啖呵を切りたい衝動にかられながらも、先を越される。

げんなりだ。

 

私の方を見ているようで見ていないその目は、宙を眺めて言う。

 

「すべては幻想なんだ。

特別だなんて思いこんでいるけれど、結局このスクランブル交差点にいる人間は、砂漠の中の一砂粒に過ぎないんだ。

みてよ。この人だかり!アリみたいでしょ?

大雨が降ってみたら「わーーー!」ってパニックになるんだ!」

 

ケラケラと笑う。

隣にいる空の同行者は、まだ”人間”を見ている。

彼にとっては、人は観察対象でしかないのだろう。

私たちはれっきとした命を持っていて、歴史を持っていて、

人とのかかわりを持っていて、毎日を懸命に過ごしているというのに。

 

スクランブル交差点から彼に目を移すと、また嬉しそうに話し始める。

「ああ、ぼくのことをそんな哀れんだ目でみつめないでほしい!

見てほしいんだ。

この世界は、……ほら、人間を”特別”だなんて思っちゃいけない。

砂漠の中の一砂粒でも、その一砂粒の歴史があるんだ。

心があるんだ。

昔は高い高い山のてっぺんにあった岩かもしれないんだよ。

それが地震という”特別”な地殻変動と出会って、

川という”特別”な媒体によって運ばれて、

海という”特別”な大きな水たまりに流れていって、

風という”特別”な空気の流れによって、

偶然……いや必然的に砂漠の中一砂粒になっただけなんだ。

地震の前には大切な別の木や岩や動物と仲良くしていたかもしれない。

川では自分という大きさが無力に感じられるほど削られていったかもしれない。

海では自分であったカケラを探して波に揺られて漂っていたかもしれない。

風に乗ったときには新しい心を見つけていたかもしれない。

ほら、”特別”って必然でしょ?」

 

「……よくわからないよ。あなたの言う”特別”は無意味ってこと?」

 

私はよくもそんな意味不明なことを、噛まずに言えるものだとあきれて感心していた。

砂漠の中の一砂粒だなんてよくも失礼なことを言えるものだ。

私には家族がいて、大切な恋人もいて、大好きな友人もいる。

そんな大切な存在を”一砂粒”のように無意味でありふれた存在だなんて感じたくない。

今日ここにきてしまったのも、何かの偶然に違いない。

こんなに腹立たしい気持ちになってまで、なんで接待をしているんだろう。

 

目下の人々は歩く。

スクランブル交差点をまっすぐに、よけながら、止まりながら、目的の方向へ進む。

ぶつかることはない。

彼が言うところの”特別”と”特別”が触れ合うことも混じり合うこともなく、流れてゆく。

やっぱり私は、生まれてから死ぬまで人なんだ。

 

 

「早く帰りたい。……ああ、私にとって、あなたとのこの会話は”特別”なのかもね。」

私は鋭くつぶやく。

隣の”誰か”はくすぐったそうに笑って、そっと柔らかく微笑んで言う。

「うん。それは、必然だね。」

彼はまた人々を見下ろして、愛おしげに笑っていた。

 

 

 

 

 

白石 静夜 (しらいし しずや)

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