木々のさざめき

019.地殻変動

※短編ホラー/恋愛×異界

世界がずれたのは、あの日だった。

 

 

キーンコーンカーンコーン……

放課後を知らせるチャイムがなる。帰りのホームルームが終わった学校は部活やアルバイトに行く生徒で溢れている。

あの日僕の世界は、静かにずれ始めていた。

「磐田~、入部届はだしたか?まだだったら今日中だぞ〜!」

先生が僕に声をかける。

「はい、もう出しました!さっき!」

「あれ?受け取ってないぞ。俺にだしたか?」

「あ、陸上やめます!お世話になりました!今日から読書愛好クラブです!」

先生は明らかに目を丸くしている。去年まで僕は陸上部に入っていた。担任の先生は陸上部の顧問の先生で、とても期待してくれていた。特に故障もしていないし、人間関係でトラブルがない僕が部活を変更するのは異例だろう。

この中山高校は部活動がどこも活発で強く、全国大会までいく猛者が揃いだ。僕は小学校から陸上部で、高校入学の時も今まで続けていた陸上部に入ると決めていた。

それでも僕は、抗いようもなくあの吸い込まれるような瞳を何よりも手に入れたかった。

それは、中学2年生に上がるときのクラス替えのときだった。

 

 

4階クラスからガラガラと机と椅子すべてを移動させるのが、僕の学校の伝統らしい。3年間大切にその椅子と机を使い、自分がどれだけ大きくなったかを自覚するのだという。よくもそんなくだらないことをかんがえたものだと、僕は昔の校長を呪った。僕は背が他の同級生よりも高く、イエスマンのために先生から力仕事を手伝うように声をかけられるのだ。

その日も当然のように担任の先生から声がかかった。

「悪い、磐田。鈴木さんの机を運ぶのを手伝ってくれるか?」

答えはYESのみ。先生や先輩に逆らうことは学校生活での終焉を意味する。……そう陸上部の先輩から聞いた。僕はもちろん先生を手伝うためにまた1年生のときに使っていた教室に向う。

そこには、女子生徒がいた。同じクラスになる鈴木呼子(よぶこ)という子だ。クラスでは穏やかで、普段本を読んでいるミステリアスな子。メガネをかけていて、前髪は長い。

鈴木さんと目があう。黒目がちな目で微笑みとも真顔とも取れるような表情で僕に会釈をする。僕も軽くお辞儀をする。

彼女の目の奥には何か静かなものがある。同時に僕の目の奥すらを見通すような深い感覚に包まれる。

まるで急に宇宙空間にトリップした感覚だ。深く優しい世界が僕を包む。息をするのを忘れた。時計の針が時を刻む音がゆっくりに聞こえる。

まるで世界に僕と鈴木呼子だけしかおらず、ゆっくりと彼女を軸に回りだす。胸がゆれる。心が吸い込まれる。内側で何がか芽生える。心臓の音が近くになり、空間の音が時計の針のように時を刻む。その目が近い。揺れる。揺らぐ。吸い込まれる。世界が沈み込む。

「今、鈴木さんは足を怪我しているから、代わりに岩田が運んでくれるか?」

先生が僕に声をかけてハッとする。一気に世界がうごきだす。

「はい!」と運動部仕込みの返事が僕の口から飛び出る。

僕は驚いた。目が離せなかった。

何も言わない目なのに、僕の内側のすべてを見透かされるような感覚に陥った。まるで目から僕の今までの成績表や頑張ってきた運動、好きな女の子やアイドルまでバレてしまったような感覚になった。

初めての感覚だ。世界が一瞬で色鮮やかになり、鮮明になり、今まで見えてこなかったことがすべて見えるようだった。

こんなこと感じたことがない。胸が高鳴る。波のように手まで響く。

これは、恋……?!いや、そんなはずはないと僕は頭をブンブンふる。先生の声に引き戻されてほっとため息をつくと、彼女は足を引きずりながら、先生の後ろを歩きながらも僕に視線を送ってくるのを感じた。

その日から、僕は彼女の目を忘れることができなかった。一度胸の奥で軋み、動き始めてしまったものはもう戻らない。もう一度あの目で見られたい。あの目を僕だけのものにしたい。あの目で僕以外の人を見てほしくない。そして、あの目に近づいて、僕だけをみてほしい……。

そんな淡い想像を抱いては、僕はただ悶えて布団の上で丸くなるのだった。

彼女の席は窓際の一番うしろだ。なかなか退屈な授業中に盗み見る事はできない。プリントを渡すときにちらっと彼女を見てしまう。目があったときのまるで愛の柔らかさに触れたような感覚は、僕の記憶に大切にとどめておこうと思った。

僕はその記憶を落ち着けるために、必死に陸上部で体を動かした。

グラウンドで走っていると、ふと図書室に目が行く。そこにはあの瞳があった。鈴木呼子と目があった。胸が高鳴る。これは長距離走の練習によるものだと言い聞かせる。呼吸が浅くなる。苦しい。あと少しで新記録だ。でも、頭にあの目がよぎり、一瞬時が止まったような感覚になる。

 

 

ある日の昼休み、先生に頼まれて、辞書がたくさん置いてあるキャリーを図書室まで運んだ。図書準備室まで置くものだ。いつも僕がやっていて、誰も決めているわけでもないのに、当番のようになってしまっていた。

図書室に行くと、カウンターには鈴木呼子がいた。目が吸い寄せられてしまう。花が風に揺れるのように穏やかに、大切な本を愛おしみながらそこに静かに座っていた。声をかけるチャンス!と胸が踊った。

「ねえ、鈴木さん。図書準備室って開いてる?」

扉を見ると明らかに開いている。発言を間違えたと顔が熱くなるのを感じる。彼女は読書しているその目をこちらに向けた。胸がぴょんっと高鳴る。目が少し細まる。長いまつげが半月型の目にかかる。

「見ての通り。」

鈴木呼子は一言そう言うと、僕がその世界にいなかったかのような素振りで読書に戻ってしまった。

僕の胸はドラムのようにうるさい。気づかれないように、たくさんの本が乗ったキャリーを「失礼しま~す」とぼそっと言いながら準備室へ押していった。

埃っぽい準備室はいつも通り暗幕がかけられていて、その隙間から光が差し込んでいる。誰もいないことを確認した。どうしようもなく昂ぶっている心を抑えるためにその手で胸をぐっと掴むしかなかった。

しばらくそうしていた。たたずんだまま、少し経つと深呼吸ができるようになった。足音がする。振り向く。

鈴木呼子がいた。

「磐田くん。部活、入った?」

「え?ぼ、僕?」

驚いて変に声が裏返ってしまった。

あの目が僕を見ている。急に世界がふわりと重力を忘れたように軽くなるのを感じる。僕もあの目を見ている。

足が彼女に向って一歩踏み出す。胸の動きが急に遠く静かになるように感じる。耳に幕が張ったようだ。

「うん。他にいないでしょ。部活入った?」

彼女の声は軽く凛としている。鈴のように耳に転がるその声は僕の耳をも虜にする。口が勝手に決められたセリフを紡ぐ。

「え、いや、まだ入部届は出してないけど……陸上部かなって。」

「そう。ありがとう。」

彼女が踵を返そうとする。その背中を見たくない。もう一度、その目で見てほしい。

「どうして?…そんなこと聞くの?」

「読書愛好クラブが人数が足りなくて。よく本を運んでいるから、好きなのかと思ったの。」

ああ、あの目だ。あの目が僕の目を貫く。やわらかく薄い赤い色で塗られた唇が話しかける。また世界が軽くなる。柔らかさとは程遠い大海原のような、涼し気な草原のような、はたまた地球の深い地殻のような感覚を僕に覚えさせる。

「そ、そ……っか。かんがえておくよ。」

「ありがとう。」

 

 

図書室を後にした僕は、この世界が薔薇色になったかのように感じた。

彼女のその視線を、瞳を、唇を、空間をすべて手に入れたように感じた。胸の奥で何かが確実にズズズと地滑りのように動いていた。あの静寂の図書館の中で、僕は彼女を手に入れたんだ!そんな喜びに溢れたまま、僕は入部届を書いた。

僕は、読書愛好クラブに入部した。担任の先生からは「お前、本好きだったっけ?」と驚かれて、なにか悪さをするのではないかと疑われたくらいだ。きっと職員室では僕はマンガを読むために入ったと噂されているだろう。「一度話をするか?」を先生からも持ちかけられた。心配されているのかもしれない。でもそんなことはどうでも良かった。
僕は妄想する。いつか、彼女に触れられたら……そんな大人になったの僕の、ささやかで強烈な願いがあった。

 

 

「おい、磐田!おまえ、なんで陸上やめたんだよ。」

僕の幼馴染の斎藤が神妙な面持ちで声をかけてきた。

「え?いや、あの……。てか、お前陸上は?今日サボり?」

「いや、お前テスト前だって。これだから帰宅部は!なんだよ、お前何も言わずにやめちゃうなんて。」

「ちゃんと入ってるよ、読書愛クラブに!」

「そんなもん、帰宅部と同じだろ?」

斎藤は陸上部のハードルで県大会で優勝をかっさらって、関東大会にも出場する実力者だ。昔からマンションが同じで同じ幼稚園、小学校と過ごしてきた。

誕生日も近く、去年の誕生日プレゼントにそれぞれ家族から同じゲームを買ってもらい、夜はオンラインのゲームでよく遊んでいた。今日も部活が終わったら斎藤とゲームをしようとしていた。

「ゲームの話だろ?そこで話すよ。いつもと同じ時間でもいい?」

「いや、あのな。ちょっと耳かせ。」

「何だよ?」

斎藤は俺の耳に恥ずかしそうによってきてそっと耳打ちをした。

「実は……俺、カノジョできたんだよ。」

「はあっ!?!?カノ……」

「いうなって!!!!!バレるだろ?!?」

「え、でも、誰だよ???」

「そりゃ、お前、あの子だよ。鈴木。」

「はっ?!!!」

「嘘だってwないしょ!!だから今日は無理なんだ!」

斎藤は俺の様子を見て言葉を引っ込めたように感じた。

何より、彼の口から鈴木呼子の名前が出た。僕は明らかに動揺していた。夜が無理って……そういうことだよね……。デート……もしかして、それ以上……?

 

 

図書室はテスト前で解放されている。普段より賑やかだけれど鈴木のいない空っぽの図書館をちらっと見て、帰路へついた。

僕は家でずっとゲームで斎藤を待った。ぽんとオンラインの緑のマークがついて聞きたくないことを報告するのではないかと思って、胸が締め付けられながらソワソワと永遠に感じるその時を待っていた。

風呂に入る、勉強を軽くしてみる、テレビを見てみる。その合間にゲームのログインを確認したが、斎藤は来なかった。僕は待ちぼうけをしていた。確かに、「今日は無理」と斎藤が言っていたことを思い出した。

「なんだよ!!!!!ちくしょーーーー!!!!」

クッションに顔を押し当て、大きな声を出す。母親が「うるさい!」と声をかけてきた。僕は眠れなくて、なにか気が紛れるものがないか探したが、なにも僕の胸を落ち着けるものは見つからなかった。

 

 

翌日、僕はいつも通り学校へ行った。テスト前の落ち着かない賑わいがある。今日斎藤にあったらどんな顔でどんな話をすればいいのかわからなかった。

僕は自分の教室に上がろうとする。が、場所がどこだかわからない。確か3階のはず……昇降口から正面の階段を上がって、3階まで行って、右へ進めばあるはず……。

しかし、ない。教室が、ない。

僕は焦ってあたりをみる。後ろを見ると、あるはずのない場所に長い廊下が出来上がっている。果てしなく廊下が伸びている。

「……は?」

僕は疑問に思いながら、2-1の教室へ進む友人を見て立ちすくむ。チャイムがなる。急いで他のクラスメイトは教室へ吸い込まれていく。

僕は夢を見ているのだろうか。どうしてだれもクラスの場所のことを気にしない?僕は腹の中心がふるふると恐怖で揺れて、一歩歩くのにも勇気が必要だった。

「おはよう、磐田くん。」

後ろから声をかけられた。鈴木呼子だ。軽く明るい鈴のような凛としていて、吐息と共に溢れる声。きれいな目が僕を映している。

この声が朝から聞けて、この目が僕をうつすなんて。ああ、神様がいたら僕は一体どうなってしまうんだろう!さっきまでの震えは忘れ、彼女の後ろに吸い寄せられるように教室へ入っていく。

僕はふと思い出す。そうだ、鈴木呼子は昨晩、斎藤と……。僕はそれ以上考えたくなかった。斎藤の席は僕の右斜め前だ。着たら直ぐに話さないといけない。また胸に黒く思いモヤがかかるように感じた。

 

 

席につく。右斜め前にはすでに人がいた。僕の心は重い。はちきれそうでもある。

今まで経験したことのない痛みをどう表現すればいいのかもわからない。ああ、斎藤だ……なんて話そう……。僕は気づく。

斎藤の席に、斎藤じゃない人が座っている。

僕は混乱する。周囲を見回す。

ここは本当に2-1なのか?そこにいるクラスメイトは本当に僕のクラスメイトなのか?確かにここは2−1だ。みんな知っている。みんなクラスメイトだ。人数は……だめだ、覚えていない……でも、斎藤の席に、斎藤はいない。別の誰かが自分の席だと言わんばかりに座っている。

僕は思い出す。机は1年生から同じものを使っている。斎藤の机には、彫刻刀で右端に斜めに削られた下手くそな名前が掘ってある。カタカナで「サイトウ」と彫ろうとして、先生にこっぴどく叱れれたと嘆いていた。

右斜め前の机を見る。その席に座っている男子生徒は僕を不思議そうに見る。僕は鬼のような形相でその下手くそな「サイトウ」を探した。

その机はきれいだった。何もなかった。サイトウの文字などなかった。その机の中も漁った。斎藤の名前が書いてある教科書は一切入っていなかった。

「ちょっと、磐田くん。どうしたの?」とその男子生徒は言う。僕はそのその男子生徒のことを知らない。顔も見たことがない。「え……あ……。」としか声がでない。

斎藤が、いない。

 

 

僕はその場に立ち尽くした。先生は「席につけ〜。」と言う。僕はぼーっとしながらその指示にしたがう。出席の名前を呼ばれる。斎藤の名前はない。みんなそれを当たり前のように受け入れている。

僕は意を決して手を上げる。

「先生!斎藤がいません!」

冷や汗が垂れる。耳の横で太鼓が鳴り響いているかのような心臓の音だ。

クラスメイトの注目は気にならない。僕の発言は、違和感ばかりの世界に放り込まれた僕の存在証明だった。

先生は口を開く。

「何を言っているんだ?もう2年生だぞ。早く座りなさい。」

先生は何事もなかったかのように、まるで僕が先生の進行を阻害する悪い生徒のように、簡単にあしらった。周りの生徒はハハハと僕が冗談を言っているかのようにあしらう者や、妨害にあきれている者、僕を心配している人しかいない。

きっと、ドッキリをしかけているに違いない。僕が陸上部に入らなかったから、みんなで「はい、ドッキリー!大成功ーー!!」と言って、僕を驚かせようとしているに違いない。

僕は少し安心をして、周囲を見た。陸上部のクラスメイトに話しかけようとしたが、誰が陸上部のクラスメイトだったか思い出せない。

おかしい……斎藤と……だれだっただろうか……。でも、僕は知っている。確かに斎藤はいた。

僕の友達で、陸上のハードル県大会優勝という素晴らしい成績を残していて、僕と毎日ゲームをしていて、くだらない話で盛り上がっていて、幼稚園も、小学校も同じだった……。

なぜみんな知らない?なぜあれだけ斎藤と関わりのあった人も、斎藤の存在を忘れているんだ?すっかり、彼の存在がこの世界に全くなくなったかのように。僕はあたりを見回した。

あれ?斎藤……って……誰だ?あれ?……ここは……どこだ?山中中学校のはず……なぜこんなに見覚えがないような、知らない場所のような、知っているのに初めてきた場所のような感覚になるんだろう?

僕は、その中でも変わらない人がいることに気づいた。鈴木呼子だ。彼女はいつでも窓際の一番うしろの席でこの教室を見回している。

鈴木が怪しい。きっと鈴木だ。昨日斎藤と会ったのは彼女だ。この世界を変えてしまう能力を持っているのは彼女なんだ。そう確信した。

彼女をにらみつける。しかし、彼女の目はとても魅力的だ。その髪の毛も新緑の揺れる葉のように柔らかく、風に乗って優しい香りがする。

「触れたい」僕じゃない僕の胸の奥の声が、頭の中と心の中と、体を占拠する。僕の目は彼女に奪われて動けなくなる。目が合う。黒目がちなその瞳で僕を捉える。桜色のプルプルした艶やかな唇が動く。

「(き)(て)」

……き、て……?

確かにそう見えた。彼女は僕に向かって「きて」と言った。「来て?」それは、どういうことだんだ……?

僕は胸が高鳴り、頬が熱くなるのを感じる。いやいや、何かの間違えかもしれない!そんな風に急に誘ってくるなんて絶対におかしい。

そう頭で言い聞かせながらも、僕の心と体は完全に彼女の香りと目の色に支配されていた。

 

 

僕は放課後に解放されている図書室へ行った。鈴木呼子はいつも通りカウンターに座って本を読んでいた。

僕の口から、上ずっている早口の声が漏れる。

「ねえ。鈴木さんは!!斎藤のことをしってる?」

僕は僕じゃないみたいだ。まるで、知らない僕が僕をゲームの画面の外から操っているように感じる。僕は彼女を責めるような目で見た。

鈴木呼子はその黒目がちな目で微笑む。

「……知りたい?」

その目をまっすぐ見てしまった。彼女は僕の内側を見透かしている。目から手を入れられて、体中を撫で回されるような気持ち悪い快感を感じる。

口が勝手に動く。

「知りたい。」

僕は、彼女に手招きをされ、図書準備室へいざなわれる。この世界には僕と彼女の二人だけのようだ。普段より賑やかな図書室では、僕たちは透明人間のようになっている。

図書準備室は誰もおらず、電気もついていない。いつもどおり黒幕のカーテンがかけられ、隙間から光がかすかに差し込む。ホコリがかかった平積みされている古い本、僕がよく運んでいる辞書のキャリー、古い貸し出し用紙などが積み重なっていた。

僕は鈴木呼子をまっすぐ見た。彼女も僕を見る。

その目に見られると、僕は何も言えなくなる。まるで何かに操られているように、吸い寄せられてしまう。どうしようもなく、近づきたくなってしまう。胸の高鳴りは消えない。また世界はやわらかく、ふわりとした感覚になる。

意識のはっきりする今、僕は後ろに手を組み、体が勝手に動かないように固定をした。目は自然と彼女を追ってしまう。その髪の揺らぎとホコリをまとう光の柱が神々しくも見える。

「ねえ、磐田くん。」

胸が飛び跳ねた。とても誘惑的な声。まるで僕を誘うような甘い声だ。僕は頭の中でそれを必死にかき消した。

世界はやわらかく、ゆっくりと回転しだす。時計の秒針は急に早くなったり遅くなったりしている。声を出さなければ。

「斎藤は!どこへいった?」

声を張り上げた。

僕は確信を持って彼女へ向き合う。間違いなく、鈴木呼子が斎藤を消した。そんな魔力を持っている女なんだ。そんな危険な女と2人きりでこんなところにまで来てしまった。

後悔した。僕はこの魅力に取り憑かれて、吸い寄せられるように、こんなにも近づきたいと思ってしまっている。危険だ。胸がビービーと黄色い危険信号を出す。同時に、期待感を背負った僕自身は抗いようもなく彼女に惹かれてしまっている。

鈴木呼子は、僕に一歩近づく。細く、白い手を伸ばして、僕の胴体に抱きつこうとしている。胸が高鳴る。僕は動けない。動いてはいけない。その瞬間にこの気持ちがバレてしまう。息を止める。彼女の甘いシャンプーんの香りが鼻をくすぐる。

鈴木呼子は僕の後ろ手をそっと正面から抱き締めるようにほどく。僕は驚いて彼女を見る。その両手は、柔らかい白い手で包まれていた。ときめきが隠せないでいた。触れられている手から注意が離せない。僕の目は彼女に釘付けだ。黒いミステリアスな目、黒く揃った髪、優しく香る甘い香り……。

その瞬間、ぐらっとめまいがした。僕はその場に崩れて、しゃがみ込む。動けなくなってしまった。世界がぐるぐると回ってしまい、吐き気に襲われる。

 

 

目がさめたら、そこは家だった。学校から連絡があって、母が迎えに来たらしい。

僕はどうして家にいるのかもわからなかった。だた、覚えているのは、僕の胸から離れないのは、鈴木呼子のあの目だ。

手の震えがある。恐怖はない。腹のあたりのグルグルとした気持ち悪さはまだかすかに残っている。

それでも、僕の内側を鷲掴みにして話そうとしない。

僕はまた触れたいと願っている。胸の奥が揺れに揺れている。こんなにも溢れる思いは初めてだ。彼女は僕の手を握ってくれた。見つめてくれた。

それは、きっと、これ以上を求めているに違いない。

 

 

僕は外へでた。母親の「どこへ行くの!?」心配する声を背中に、僕は走った。

僕は一軒家に住んでいて、2階から飛びおりた。確か、マンションに住んでいたような気もするけれど……気のせいだ。僕は、鈴木呼子にだけ会いたい。その一心で、走った。

彼女のいる場所は知っている。あの学校の図書室だ。夜でも構わない。確実に、あそこにいる。

僕は、走った。走った。走った。肺があるのは彼女に会うために走る呼吸を荒らげないためだ。足があるのは、彼女に近づくためだ。手があるのは彼女に触れるためだ。目があるのは彼女を見つめるためだ。唇があるのは、彼女と繋がるためだ……。

僕は、走った。走った。走った。

 

学校についてしまった。

そこは、学校だが、学校ではなかった。どこか知らない場所だ。大きな校舎は黒い空を抱えてまっすぐながらゆがんだ形になっているようだ。

僕は、校門から堂々と入り、「いつもの昇降口」を目指す。校庭を突っ切っていけば早い。すると、校庭の横に地下へ続く扉がある事に気づいた。

「ここだ。」

僕の口が知っていた。足はまっすぐその地へ続く扉へ向かっていた。

心臓は高鳴りを抑えきれずに、Tシャツの外からも動いているのがわかるほどだ。僕の心はその扉こそが図書室への入口だと知っていた。
扉を開ける。ガチャリと重い音がして、いつものホコリのニオイがする。差し込む光はほとんどない。暗闇の中で僕は鈴木呼子の姿を探した。こんなところにいるはずがない……と一瞬意識が考える。

「おかえり。」

彼女の声がした。

びくりと肩が跳ねる。同時に僕の胸は太鼓と花火が同時に鳴り響いているかのような感覚に襲われた。一気に体温が上がる。世界がぐるりと反転する。めまいがする。甘い香りもする。その目はどこにあるのか探したい。早く見つめたい。深く見つめられたい。彼女をその体で抱きとめたい。

声は上ずりながらも冷静を気取る。

「ただいま。鈴木呼子さん。」

「よく、ここがわかったね。待ってたの。」

彼女はゆっくりと僕に近づいてくる。暗闇の中にいる鈴木呼子の目は僕を見つめる。また世界がコーヒーとミルクが混ざるようにぐるりと変化する。

彼女の目は僕の目の奥から入り込み、ゆっくりと僕の体の内側を撫でるように見つめる。甘い香りとそのすべてを見通す目が僕を魅了する。

時計の針はとまり、はやくなり、反対に回り、奇妙な動きを繰り返す。僕はゆっくりと彼女に近づく。

もうみつめるだけでは足りない。もっと近くで見つめていたい。もう、恐れることはない。僕は彼女と……。

「ねえ、鈴木呼子さん。」

僕は彼女の手を優しくとる。彼女の目はパッと見開かれる。

僕の目をその2つの黒が射止める。大きな地響きのような重い音が遠いところからする。波のような大きな感覚が僕の背中をゆっくりと押す。そのまま彼女の柔らかい手に触れながら、じんわりとお互いの目を見つめあう。

「うん。きて。」

彼女は凛とした柔らかな声で僕の世界を打ち砕いた。

合図はもう必要ない。僕を受け止める。ゆっくりと彼女の唇を優しい闇の中で探す。

近づけば近づくほど、空気はぐにゃりとゆがむ。胸ははち切れそうなほどの高鳴りで抑えられない。

恐ろしいめまいに襲われながらも、世界は僕が止まることを許さない。触れなければならない。もう、抑えることはできない。

惹かれてしまった。誕生と同時に、この存在に引き寄せられる運命なのだ。ゆっくりと近づく。グラグラとゆれる世界は心もとない。触れたい。

僕の唇は鈴木呼子の柔らかい桜色に触れた。

彼女は黙ってそれを受け入れ、そっと僕の背中に手を回す。

熱い、甘い、深い、暗い、切ない、壊れそうだ。甘い香りが充満し、僕は彼女に吸い込まれる。

僕という姿がなくなっていき、僕という空気になり、僕は鈴木呼子のために溶けて、僕は吸収されていく。

愛されている。そうだ、これが本当の愛なんだ。地鳴りが響き渡り、赤い光に包まれる。

 

 

 

翌朝。2-1はいつものように欠席を取る。誰も欠席者はいない。

鈴木呼子が窓際の一番うしろの席で外を見る姿があった。

昨日までいた誰かの席は、何事もなかったかの様に他の生徒の席だった。

そしてまた、彼女を見つめる瞳があった。

 

 

 

白石 静夜(しらいし しずや)

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