森の軌跡

020.筆をもって

 

「世界よ、僕たちを見つけて。」

 

黒いスウェットの背の高い彼の言葉。

ささやくような声量だが、願いと痛みと希望を抱く強さがある。

それは黄金の光の声を借りているようだった。

 

くるりと天然パーマのだらしなく伸びている髪は、

天を仰ぐ長い手に揺られて、ふわりとジャンプする。

 

ささやかな扇風機の風と、絵の具の深く柔らかい香りが漂う。

薄暗い北側の部屋に閉じ込めたたくさんの絵と彫刻たち。

灰色の世界の中に、様々な色あいがたちのぼる。

 

 

 

彼の持つ絵筆には絵の具はついていない。

私はその言葉を、その柔らかな絵の具の香りとともに抱きしめる。

 

「これは、契約だよ。」

 

筆を持つ黒いスウェットの彼は言う。

そっと私に向き合い、私の手をゆっくりと包む大きな手。

 

私の手の平をくすぐったと思えば、

絵の具のついていない絵筆を置く。

私は彼を見る。

 

「契約……?」

 

彼は優しく言う。

「そう。でも、怖くない。

あなたがここに生きている限り、ずっと続くもの。

でも、忘れてはいけないもの。」

 

私は絵筆を見る。

18号の丸筆だ。藍色の柄に、明るい茶色の動物の毛の筆。

重くもなく、軽くもない。

 

「これをくれるの?」

 

「そうだよ! エンゲージリング!

……あ、リングじゃないね。エンゲージ……ふで?」

 

彼はそう言うとけたけたと笑いながら、部屋の奥へ進む。

 

 

 

部屋はだだっ広いアトリエだ。

壁も床も灰色のコンクリートでおおわれている。

彼についていく。

 

 

その先には窓がある。

ただの窓に、ステンドグラスのように色とりどりのセロファンが貼られている。

これもアート作品だろうか。

チューリップのような花や、ハチドリのようなものなどがあしらわれている。

 

 

「ここを見て。この光を。

 

光は透明だ。

でも、僕たちが少し手を加えれば、花になる。鳥になる。風になる。

 

この世界は本当は何もないんだよ。

でも、僕たちは作る。

目や耳、口、舌、そして、この手を通して。

 

それは生き方だ。

何にも代えられない。

だから、“契約”。」

 

 

 

私は何も答えられずに、彼の目を見る。

穏やかにこちらを優しく包み込むような目だ。

 

 

 

この目は、この世界を一体どんな風に形作ってきたのだろう。

灰色のアトリエに押し込まれた作品たちの中で、

世に出たものは一体いくつあるんだろう。

 

誰かの願いと彼の願いの混ざりあう瞬間は、

一体何度あったのだろう。

 

 

 

私の考えを見透かすように、彼はまた天を仰ぐ。

ステンドグラスの赤や緑が、彼の白い肌に落ちる。

 

「衝動、だよ。それは、生き方だ。」

 

 

 

私は願わずにはいられない。

彼のこの世界が、世に光を受けること。

彼のこの美しさが、美しいと思われる人々に出会えることを。

 

そんな願いを胸いっぱいに感じて、

彼の横顔に声をかけようとする。

 

 

 

彼は私の言葉をさえぎって言う。

 

 

「僕は、君だ。」

 

 

 

 

 

白石 静夜(しらいし しずや)

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