森の軌跡

006.外からの意味づけ

 

「息子の次が娘だなんて……。」

意気消沈する友人がいる。

 

自分の不幸な生い立ちと重ねているのだろう。

その直感は、彼女が「自分は息子と娘を不幸にする」という確信すら感じられる不気味なものだ。

 

そして、彼女は続ける。

「どうして私はこんなにも不幸なのだろう。」

そうだ、彼女は不幸になりたいのだ。

 

きっと、この世界にはたくさんの意味づけを行う材料が蔓延している。

 

例えば、占い。

「あなたは息子からなにかを得ます」だなんて言った場合、その人の思考は

「息子からきっと私に金銭的な、もしくは感情的なつながりとしてのベネフィットを得られるのかもしれない。」

「彼が私に対して、両親が行ってくれなかった無条件の愛情を注いでくれるのかもしれない。」

などという、甘美な幻想にとらわれてしまう。

 

 

「私の前世は何でしょうか?」

それを聞く意味は何だ。

 

「私の兄弟構成と、私の子どもの兄弟構成が全く同じということは、私は母親の人生を繰り返してしまうのでしょうか?」

それを聞く意味は何だ。

 

「私が恋に落ちる男性はどんな人でしょうか?」

それを聞く意味は何だ。

 

「私の寿命はいつでしょうか。私は何を成し遂げる人生なのでしょうか?」

それを聞く意味は何だ。

 

「私の生涯の伴侶はいつ現れるのでしょうか?」

それを聞く意味は何だ。

 

「私はどこに住めば幸せになれるのでしょうか?」

それを聞く意味は何だ。

 

 

外からの理由で安心をしようとするな。

それは、お前の心を一時は落ち着けるかもしれない。

 

しかし、結局お前の人生はお前のものだ。

外からの意味付けは究極のところ意味がない。

 

どんな言葉であっても、自分の内側の深いところから納得しないと、理解したことにすらならない。

 

自分の細胞が知っている。

「お前はこういう動きをする者だ。」

燃えたぎるような皮膚のしたの感覚を。

 

自分の声が知っている。

「お前はこういう言葉を使う者だ。」

かつて想像した知恵を。

 

自分の目が知っている。

「お前はこういうモノをみつける者だ。」

情熱を燃やした興味を。

 

自分の耳が知っている。

「お前はこういう音を聞く力がある者だ。」

既知と未知の可能性を。

 

自分の肌が知っている。

「お前はこういう感覚を感じるものだ。」

世界の感覚とその広がりを。

 

 

深いところでの理解は、己を正当化するような外界からの言葉に惑わされない。

 

本当はこうだ、

本当はこう感じた、

本当はこうなりたい、

本当はこう生きたい。

 

それらが全て詰まっている。

 

 

白石 静夜(しらいし しずや)

 

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