「そろそろ、いこっか。遅くなったらあぶないもんね」
「うん。」
オレンジのライトアップが美しい港街を背に、私たちは帰る。
手すりに寄り添いながら眺めていた黒い海面に揺れるオレンジと汐の香りが後ろ髪を引いた。
肌が潮風でべたついて、朝にセットした髪の毛もギシギシしてしまっているのだから。サンダルと足も心なしか少し滑りやすくなっているのだし。仕方がない。
買ったばかりのおそろいの華奢なチェーンのブレスレットのついた手を絡めて歩いた。まだ手首に嬉しい違和感があり、今日の日の喜びを胸で反芻してしまう。
駅まで一緒の道。電車に乗れば、反対方向へ進んでいくのだ。
私たちの影は、街灯で前へ行ったり後ろに行ったりせわしなく動いている。それでも、手でつながって一つの影になっていた。
「あのね……」
ふいに何かを言葉にしたくて、あなたを呼んでみる。
やさしくこちらに微笑みかけながら「なに」というやわらかい口。
手がだんだんじめっとしてきた。
汗っかきなのはこれだから困ってしまう。かわいくあろうとしても、こういうところで手を離してズボンで数往復させてからまた彼の手を探すのだから。
「ううん、なんでもない」
微笑みかけてちょっとかわいぶって「呼んでみただけ」という雰囲気を演出する。
あなたはクスリと嬉しそうに笑った。オレンジの灯りがそのえくぼに影を落として、私の胸にふわりとしたぬくもりを抱かせる。
あのね。ほんとうは、そうじゃないの。
でも、言わない。
改札口の前で私たちの影は二つになってしまった。手の湿った感覚が一気に空気にさらされる。
ズボンではまだ拭いてあげない。
ピッと改札と抜けると、あなたの手が私の両手をつかまえて、まっすぐ目を見て言う。
「じゃあ、また連絡するね」
「うん。あっという間だった!楽しかったよ。ありがとう」
手首のおそろいを確認して、二人で頬がとけたように笑いあう。
離れる最後の一歩まで手をつないだ。それでも駅のホームが私たちの手を離れ離れにしてしまう。
こんなに一緒にいたのに、帰るときなんてあっという間なんだね。
一瞬で宇宙の果てまでいって、ただどこかの彗星と恒星がすれ違ったような偶然みたい。もう二度とその姿すら見えないような気になった。
私たちの手が離れていく。
それを惜しむように見えなくなるまで手を振り続けるあなた。
私も笑顔の仮面をかけて、エスカレーターをのぼりながら下に居るあなたに手を振り続けた。
しゃらしゃらと、手首のブレスレットが揺れる。
あのね、ほんとうはね、胸の奥に何かがあふれてきそうだったことをいいたかったんだ。
ほんとうはね、それが言葉になりそうにない悔しさをぶつけたかったんだ。
ほんとうはね、言葉で伝えたいことほど伝えられないもどかしさに涙が出そうだったんだ。
帰宅する人の群れの、個々が断絶されたような空気の中にとけこんで、私もそのうちの一つとなる。
電車の窓をボーっと眺めて、さっきまで立っていた場所を見る。
手に汗はもうかいていない。私は手首のブレスレットをそっと唇でやさしく食んだ。
白石 静夜(しらいし しずや)