ああ、視界が揺らぐ。
胃のむかつきを抱きしめるようにして目だけ動かせば、オレンジの常夜灯と手元のスマートフォンの白い灯りがぼうっと入り込んでくる。
サイズの大きいタンクトップの紐が、右肩からずりおちる。体が重い。
右手の発泡酒の結露をショートパンツで拭い、ぬるくなった炭酸を一気にのどの奥へ流し込む。
「……最高に、まずい……ねっ」
缶に向かって話す。季節限定をうたう缶のプリントは何か書いてあるが、どうてもいい。でも、何かを受け取りたくて眺めてみると、文字がぐるりとらせん状にゆがんで意味のない文字が私の目の奥へ入っていく。
クーラーなど点けない。つけてたまるか。この暑い密室で、私は発泡酒と一緒にこの夜に溺れるんだ。
汗ばむ喉と背中に長い髪の毛がべたりと張り付く。崩れたあぐらのふくらはぎと太ももは、汗でじっとりと湿っている。
立ったら私の汗の跡が残るだろうな。ついでに缶の丸い跡も残るだろうか。手元の缶を見る。もう結露すらしていない。ポタリと最後の一滴まで天井を向いて口に注ぎこむ。ぺろりと缶の口をなめる。苦味と一緒に鉄の味がした。舌を切ってしまったのかもしれない。
「もう一本……」
のそりと立ち上がり、冷蔵庫の抵抗すら厭わずガバっと扉を開ける。まぶしい。あふれる冷気が胸から足を撫でる。くすぐったい。ふくらはぎの後ろに汗がつーっと流れ、それを右手がボリボリとひっかく。
その湿った手で、冷蔵庫の奥にある残りの発泡酒を手に取る。ひんやりしている。火照った体が一気に目覚めるようでもあり、さらなる揺らぎの中にいざなうようでもあり、冷蔵庫を閉める前にシュコッとタブを引いて音を鳴らす。
少し振れてしまったのか、飲み口から冷たさがあふれて手に滴る。べたりと苦味が張り付いた、渇きのある舌でそれをなめとる。苦い。しょっぱい。冷えているようで、ぬるい。
足元に脱ぎ捨てられた衣類が散らかっている。ワイシャツにスーツのパンツに汚れた靴下、ブラジャー、ショーツ。それを左足でブルドーザーのように蹴飛ばして壁際に追いやる。これできれいになった。
「あなたに、キスをします」
冷えた缶に言う。首をかしげる。
返事はない。当然だ。でも、きっと無言で待っているはずだ。ほら、キスをする前に言葉なんて必要ないから。
ああ、”キスします”なんて普通は言わないか。なんていえばいいのかな。空気感とか、ほら、ロマンチックな感じとか。
余計な考えがとりとめもなくどこからかあふれ出てきて、早くこれを静かにしたいと腹の奥が何かを求める。
冷えた右手の指先に結露の雫がまとわりついてくる。ゆっくりと缶を口に運ぶ。冷たさと苦味が口に広がり、じわりとのどを伝って体の内側に呼吸のしづらさを伴う冷気が入り込んでくる。
「ッあ~……」
大きなため息とはしたないゲップをして、また座る。肩ひもがずり落ちているのを直す。また下がる。もういいや。そのまま横になる。
ぐるりと世界がゆっくりと私を中心に回っているようで、淀んだ部屋の蒸し暑い空気が私のほとんど裸の肌を抱きしめる。
「私の、秘密の恋人だね」
首だけ起こして、もう一度発泡酒を口に含んだ。天井を向き、おでこに発泡酒を置くとひんやりしている。ひざまくらしてるみたい。
目を開けてもぐるぐると天井は回っている。常夜灯がふわふわと蛍のように増えたり瞬いたりしている、メリーゴーランドの中の不思議な世界。この缶は私をファンタジーの国へ誘ってくれるのだ。
目を閉じて、発泡酒のにおいのする息を何度かすると、ゆっくりと泥に沈みこむように意識が遠のいていった。
白石 静夜(しらいし しずや)