人生って剪定みたいなもんだ。
木は接ぎ木だらけで、花や実をつける方法なんて人それぞれ。
誰にも教えてもらうことなんてできない。
だって人は違う木を育てているから。
自分の選定を成功させた人はいう。
「明るいところで育てた方がいい」
「日陰が育ちやすい」
「晴れの日に剪定するべき」
「雨の日に切るといい」
「肥料は多くするといい」
「肥料はなしでも育つ」
「歌を歌ってやるといい」
「踊りを見せればいい」
「一切切らなくてもいい」
「水をやらなくていい」
その中に結局、方法論なんて一個もない。
結局は己の木を見て、それを観察して、どうやって切ればいいのか見極めるしかないのだ。
この木は何の木だろうか。
広い葉っぱに適当に広がる葉脈。桜でも銀杏でもタイサンボクでもない。
何かの木。よくわからないけれど、こいつを面倒見続けるんだ。
人生が剪定って言う例えは雑だっただろうか。でも、そう思うんだ。
だって、切ってしまったら、もう二度とそれは戻ってこないから。
切ってしまった枝の先に、本当なら花が咲いて実がなっていたのかもしれない。
その実は美味しくて多くの人が欲しがったものかもしれない。
はたまた、美しい花が毎年のように人々を楽しませたのかもしれない。
しかしもう、剪定した枝はこの足の下にあり、地面の中のバクテリアになっているだろう。
それでいい。それでいいんだ。
その時に要らないと思ったのものは、きっと未来でも要らないと思うんだ。
そうだと信じるしかないんだ。
また本を読んで「肥料はどうするべきか」とか「水はどうするべきか」とか考えながら、切る枝を探す毎日。
ああ、この枝にも緑の葉がようやくついたというのに。
また私は鋭い刃を向けて、何も感じないままにこれを落としていくのだ。
何が成るのかもわからない。
ましてや何かがなるのかもわからない。
理想の本ばかりが背中に積み重なり、枝は地面に落ちてゆく。
パチン、パチン。
切りすぎないように、切ったところを忘れないように、一つ一つ可能性を狭めていく。
パチン、パチン。
足元に落ちた枝を見ないで踏みつける。
パチン、パチン。
これも決断だろう。
お天道様、どうかこの木を育ててください。
風神雷神よ、この木に滋養を与えてください。
雨雲よ、慈雨の恵みをください。
祈りなんて大したことはない。
それでもやらずにはいられない。
私にできることは、ただ切り取ることだけなのだから。
白石 静夜(しらいし しずや)