風のささやき

025.アップルパイ

 

皮膚がべたべたして逃げようのない蒸し暑い朝。

まぶたを透ける光を探すように夢の扉を閉めて目を開ける。

窓の外の日は、すでに我が物顔で薄曇りの空を明るく照らしていた。

 

重い体をゆっくり起こして重力を思い出す。

髪の毛が首や肩にはりつきぞわりとし、乱暴にそれを引きはがす手。

ぺたぺたとフローリングを歩く裸足がすこし冷たくて心地よい。

 

やらなくちゃいけない大切なこと。

やらなくてもいいけれど何よりも大切なこと。

なんだっけ

頭の中で懸命にそれを探す。

棚という棚と開けて、その奥に隠された大切な何かを探す。

あるのは読めない落書きの紙切ればかりでぐちゃぐちゃしている。

それを見ては捨て、見ては捨て、見ては捨て……

見つけられない手と目は胸の深い部分をざわつかせる。

 

ひとつ息を吐く。

キッチンに置かれたアップルパイとコーヒーを無造作につかみ取り、机をみる。

そこには一冊のノートと、お気に入りのペンがある。

ドタドタとイラつきを隠せない足が狙いを定めて歩み、椅子はおしりの重みにギシッと恨めしそうな声を上げる。

 

コーヒーをすする。苦い、美味しい。

体の内側で溶けてゆっくりと広がっていく。

私をだきしめてくれているようだ。

 

ゆったりと目を宙へやれば、

胸の奥の大切な湖のそばで輝き、いつもこちらを見守っている存在が言う。

 

「きっと、できるよ。」

その声ははるか遠く、淡い光は靄に隠れてしまって姿も見えない。

 

……何を?

何をできると宣言する?

私に何ができるって言うの?

きっと、って何?

あなたは誰なの?

どうして何もしてくれないの?

何のために私を突き動かすの?

 

50パーセントオフのシールが張られたアップルパイの袋を開けて、むさぼる。

味なんてわからない。

甘いような、口の中を小さな針で刺激するような、とろりとした後のぱさぱさした何か。

 

胸の奥にある凍えるような空間には、その甘さは届かない。

ただ、腹を重くして内臓を引っ張っていくだけ。

それでももう一度その甘さを食もうとする口が許せない。

 

一緒に来てよ。

私の手を取って。

 

胸の奥の大切な湖の近くの輝きにすがるような思いで、甘みを咀嚼する。

ノートに落ちたアップルパイの欠片を、ペンでつついた。

まるで、何かを確かめるように。

 

 

 

 

白石 静夜 (しらいし しずや)

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