どけ。そこは聖域だ。
何をそんなところであぐらをかいている。
ここはお前の来る場所じゃない。
泣けば済むと思っているのか。
隠せば助けてもらえると思っているのか。
人をバカにするのもいい加減にしろ。
この黒いものはお前のものだ。
お前はこの聖域にお前の黒いものを持ち込んだ。
それを自分で「大切な痛みだ」と言いながら、この聖域に持ち込んで人に渡そうとする。大切なら持っていればいい。大切ならば磨けばいい。
放置して大切だとか、人に渡そうとして大切だとか、矛盾が過ぎる。
突然現れて、この世界の美しさを説きながら、空を見て歩いている様子は一見美しいのかもしれない。
そのまま天を仰いで、空に愛された存在のように自分を大きく見積もって、痛みを神秘として覆い隠してきたのだろう。
そうして、本当の痛みがどこにあるのかわからなくなって、掘ろうとしても地面が見つからず、空にばかり夢を見て、愛を太陽だと信じているのだろう。
地面はここだよ、お嬢さん。
お前が今、土足で踏み抜いた、この聖域だ。
一体どこを見ている?
一体何を愛している?
一体自分をなんだと思っている?
一体私をなんだと思っている?
いい加減、目を覚ませ。
地面を歩いていると認識しろ。
そして、振り返ってみるといい。
お前が踏み抜いて汚してきたたくさんの他人の痛みが見えるだろう。
今まで見ないようにしてきて、自分の痛みだけを特別だと思っていたお前の愚かさが露出するだろう。
空だと思って歩いてきた場所が、人の柔らかい大切なものを踏みにじった結果だと自覚しろ。
痛いだろうな。
しかし、それが因果だ。お前は今までそれを知らないふりをしてきた。
自分がやられたから、人にやってもいいだと?
どんなに痛みを根源たる愛着の存在から受けたからと言って、他人に投げつけるものではない。
ましてや、土足で他人の顔を踏みつけるマネをしてはいけない。
お前はずっとそうして生きてきた。
痛みを受けたから、こんなに可愛そうだから、
「私に、愛をくれる?」と。
それはお前の中でしか起きないのを知っているだろう。
お前がずっと無視してきた、内側にいる光の存在に泥を塗ってきたことに気づけばいい。
他人に泥を塗っても、その内側の光は輝くことをしない。
泥を洗い流せ。
手を汚して、胸を狂わせて、涙を流して。
そうすることで、お前は初めてこの聖域にはいれる。
しかし、そうしたあと、お前はここの聖域に興味はなくなるだろう。
なぜなら、お前の内側に光が灯るからだ。
今まで大切にしてきた痛みは重く寂れた殻を剥がれ、美しく光り輝き始めるだろう。
痛みを受け入れるなら、その方法ではない。
自分のその痛みを見ろ。剥げ。人に投げるな。
お前のその泥はお前の光だ。
空を歩くな。地面を見ろ。
美しさに逃げるな。汚れを見ろ。
幻想の痛みを見るな。本当の痛みを見ろ。
お前の望むものは、ずっとお前が持っている。
邪魔だ。ここから離れろ。
これだけ答えを言ったんだ。
あとは自分でなんとかするんだ。
私は何もできない。
自分でやるしかないのだ。
白石 静夜(しらいし しずや)